本多勝一研究会重要文献解題

本多勝一

「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」

『潮』1985年8月号

『本多勝一集16 カンボジア大虐殺』1997年 P459〜464ページ

文責:佐佐木嘉則


解説

 1975年5月に「プノンペンの2週間--陥落から脱出まで」でシャンバーグ記者が報じたクメール=ルージュの残虐ぶりを、かつては「ウソ」ときめつけてクメール=ルージュ擁護の論陣を張った本多勝一記者(「欧米人記者のアジアを見る眼」および「カンボジア革命の一側面」を参照)。しかし、虐殺が事実であることが日を追って明かになり(「事実を否定しようがなくなった」といった方が正確ですが)、シャンバーグ記者はこの報道でピュリツァー賞を受賞、さらに1980年にはシャンバーグと助手プランの体験がパットナム監督によって映画化(邦題『キリング=フィールド』)されました。

すると、すでに反ポル=ポトに鞍替えしていた本多勝一記者は、今度は親ベトナム・ヘン=サムリン政権支持の立場からこの映画を

と斬って捨て、この映画を肯定的に評価した論者をも攻撃しています。 今回は映画の登場人物として現われるシャンバーグ記者にも本多氏の矛先は向かいます---いわく

などなど。ますますもって本多勝一記者の面目躍如といったところです。

ここに注目!

ここまで自分のことを棚にあげて威張り散らせるものかと、ひたすら感嘆。「ラオスもカンボジアも区別がつか」ない人が「たぶん人口の八割には達する」云々と、本多氏がホンネでは「民衆」を蔑視しているのも読み取れる。

読みどころ

赤字による強調は引用者による)

「B52による誤爆事件で大量の市民が殺されるところを、主人公の特派員【シャンバーグ記者】がカッコよく暴露する描写があまりに強調されると、「それではB52の一般市民大量虐殺は誤爆だけか。当初から市民密集地域を目標にして女・こどもを無差別虐殺したハノイその他の惨状はどうなるのか」と思うし、これでは「一般市民爆撃は誤爆だけだった」といった免罪符にもなりかねない。」

「パットナムという人は、カンボジア大虐殺について見聞したことがあるのだろうか。それを舞台にした映画を作るというのだから、まさか虐殺の報道や記録を見なかったとは考えられない。ひところ日本に「カンボジア虐殺はなかった」と根拠もなしに主張する学者やジャーナリストがいて、日本型“知識人”たちの退廃ぶりに驚嘆させられたものだが、パットナムはそこまで退廃してはいないので、大虐殺の事実についてはむろん疑問など全く抱いていない。となると、次のような映画表現をしたパットナムは、何を考えてのことなのか。」

「実は「狂気」が始まるのは戦争が終わってからなのだ。戦争が終わり、カンボジア人だけの国になり、本当に民族的主権が回復された(かにみえた)あとの、平和な国の中で地獄が始まったのである。いま「かにみえた」とカッコの中で注釈したのは、実は背後でポル=ポト政権をあやつる巨大な勢力として文革の中国があったためだが、主権はあやしげでも平和だった事実に変わりはない。断じて「戦乱」ではなかった。「ローマの平和」ならぬ「カンボジアの平和」とは、虐殺政治によって一国が牢獄と化した「地獄の平和」を意味する。この基本的事実を誤って理解しているのでは、大虐殺をめぐる情況の理解など絶望的たらざるをえない。」

「そして、ここが重要なのだが、四年間つづいたポル=ポト政権下の「地獄の平和」は、まさに「戦乱」によって破られたのだ。地獄の責任者たるポル=ポト政権は、この四年の治世の末期、文革の中国のうしろだてによってベトナムと国境で小ぜりあいをし、ベトナム領内でベトナム人虐殺をくりかえしていた<注>が、ベトナム軍とカンプチア救国戦線軍(親ベトナム派)による大挙侵攻によって短期決戦で崩壊した。一九七九年はじめのことである。」

「さてその地獄の風景だが、これは私が現地調査した経験(拙著『カンボジアの旅』=朝日新聞社刊…本巻収録)からみても、とてもあんな甘いものではない。事実、この映画でカンボジア人の助手役をつとめた体験者ニョール自身も「現実はとてもあんなものではありません」(前掲『朝日新聞』)と語っている。」

「ポ政権崩壊のとき最も大量の難民が出てきた。これは、それまで牢獄から逃げ出せないでいた人々が「解放」されたためである。だから難民のほとんどは「ポル=ポトであれヘン=サムリンであれ“共産政権”はいや」という人々であって、ポル=ポトがまたプノンペンに帰ってくれば自分たちも帰郷するなどという難民は絶無に近い。ポル=ポトの虐殺政治よりはヘン=サムリンの方がはるかにましなのだから。」

「さて、右のようなことを知っている日本人は、一億余人のうち何人だろうか。なにしろラオスもカンボジアも区別がつかず、ましてベトナム革命とカンボジア革命の大きな違いなど全くわからない人が、たぶん人口の八割には達するだろう。ヨーロッパ人やアメリカ人などは九割以上だろう。そのような人々に対して、この映画は最後に字幕で何と訴えたか。「カンボジアの苦悩はまだ終らない。タイ国境の難民キャンプは虐殺の野からの子どもたちで今なおあふれている」

しかも右の結びの言葉は、ゆっくり、かつたっぷりと二度くりかえされるのである。

…これではまるで「地獄の平和」が今なおつづき、今なおポル=ポトが虐殺をつづけ、難民はそのために今なお脱出をつづけているかのようだ。インドシナについて地理的・政治的に無知な民衆がこれを見れば、いったいだれが虐殺をしているのかはっきりせず、地獄の責任者のポル=ポト派が今やタイ国境から「反撃」して再征覇をこころみているなどとは思いもよらず、ついには現政権とベトナム軍が虐殺をしているかのように考えるにいたるかもしれない。」

「ベトナム戦争で敗北したアメリカは、なんとかして復讐したいだろうから、一般民衆にはわけのわからぬカンボジア情勢を利用して、かの大虐殺の直接的責任を憎いベトナムになすりつけたいと思っている。その意をパットナムは汲んで、こうした政治的映画をつくったのだろうか。それとも、なにしろCIAという機関は、想像を絶するような陰謀を実行するところだから、パットナムも利用されているのかもしれない。」

「視点をかえて、この映画を純粋な「友情物語」ととらえてみよう。パットナム自身も「友情物語を強調」している(前掲『朝日新聞』)。

私たちが普通に考える友情とは、対等な人間同士の友人関係の間に存在する。親子関係や主従関係ではない。むろん主従関係が友情に発展することもないとはいえないが、それにはそれだけの深い背景と「対等」の証明を必要とする。映画の主人公としてのアメリカ人特派員シャンバーグと、ニューヨーク=タイムズのプノンペン支局に勤めるカンボジア人助手プラン。この二人の関係は、いうまでもなく主従関係であって、対等な友人関係ではない。」

「命の恩人であることが、ただちに「対等な友人」となりうるだろうか。…友情に発展するためには、もっと深い相互理解を必要とするし、何よりも対等の証明が必要である。そして、シャンバーグとプランの問には、そのような証明が一つもないのだ。あくまで「忠実」と「恩返し」の美談にすぎない。」

「そう考えれば、ブラン以外のカンボジア人たちが、まことに没個性的で非人間的な群像としてしか描かれないのも納得できよう。ブランの救出に異常な手段をつくしてまで熱中すればするほど、他のカンボジア人たちに対する冷淡な差別主義が浮きぼりになってくるのは、何という皮肉だろうか。…この映画のお釈迦様(シャンバーグ)は、ブランだけを全力をつくして助けようとし、あとの何百・何千のカンボジア人の糸は切ってしまっているのではなかろうか。むろん「あとの何百・何千」を救うことは現実にはできないにせよ、プランとかれらの間にある壁が異様に高いのだ。断絶がありすぎるのだ。ノアの方舟にのせる人間を選ぼうというときに、シャンバーグ仏の頭にはもともとカンボジア人などなかったのだが、たまたま「恩」ができたのでプランだけを拾ったのではあるまいか。」

「映画が終わったとき、客席から少数ながら拍手が起こった。これに「感動」できる人も、もちろんあるだろう。パットナムのいう「プロデューサーとしてまず当てることを考え」(前掲『朝日新聞』)たもくろみにハメられたのであろう。だが私は、見終わったときすでに本稿の見出しが決まっていた。これは無知な人々だけしか感激できない愚作であり、政治的な詐術映画だ。同じように無知な人々をだました政治映画『鹿狩り』(原題『ディア・ハンター』)のようなしろものが、また一本できただけのことである。しかもいわゆる「芸術的」には『鹿狩り』以下だろう。大金をかけて、なんというもったいないことをしたことか。一発でこの映画の本質をいえば、これは差別映画である。」

「欧米よりも日本にはるかに近いカンボジアで起きたこのナチ以後最大の虐殺事件、しかも自国民虐殺というナチ以上の大問題を、日本ではついに映画化も文学化もせず、「知識人」たちは例外的個人を除いて関心さえ示さなかった。去年の国際ペン東京大会では、ブラジルの捨て子問題さえとりあげられたというのに、身近な国での世界最大の人権問題たるカンボジア虐殺には、一口も言及されなかった。この知的に不毛な“経済大国”日本であってみれば、パットナムの差別的政治映画も、いかに商魂とはいえ、「日本よりマシだ」と考えざるをえないではないか。そうした「かなしき現代日本の文化情況」を確認するためには、この映画に「少数ながら拍手」を送るのも、あながち無意味でもないかもしれない。」

ここが知りたい

蛇足--無知な私が感激した『キリング=フィールド』

先日地元の貸ビデオ屋で『キリング=フィールド』を借り出してこの「愚作」を久しぶりに鑑賞しました。自らが大虐殺の生き残りであるカンボジア人俳優ニョールの渾身の熱演に圧倒された無知な私は、またしても感動を新たにしてしまったのでした。(因みにニョールは『キリング=フィールド』完成後何者かによって殺害されたそうです。おそろしや〜。)

結論--全てを知った人々も推奨する『キリング=フィールド』

『キリング=フィールド』に感激したのは無知な私だけではありません。朝日新聞きってのカンボジア専門家・井川一久氏や虐殺の生き残りのカンボジア難民達もこぞって推奨しています。くわしくは、井川一久「米映画『キリング・フィールド』:これでも語り尽くせぬポル・ポト派に殺された者の無念」をご参照ください。


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最終更新日2000/04/15 (Y/M/D).