本多勝一研究会重要文献解題

「シンポジウム・映画『キリング・フィールド』の真実

「無知」なる大衆とは何か

カンボジア大量虐殺をめぐって」

『朝日ジャーナル』1985年8月16日/23日号

文責:佐佐木嘉則


解説

シドニー=シャンバーグとその助手ディト=プランを主人公とする映画『キリング=フィールド』を「無知な人々だけが感動する『キリングフィールド』」と斬って捨てた本多勝一記者に対し、「米映画『キリング・フィールド』これでも語り尽くせぬポル・ポト派に殺された者の無念」で同映画に共感の念と高い評価を寄せる井川一久記者。どちらを信じたらいいのかわからず困惑していた読者にとって待望の、両記者の直接顔合わせが公開の席で実現します。

パネリスト

朝日新聞編集委員 本多勝一

朝日新聞編集委員 井川一久

映画監督 長谷川和彦

ピース・ボート85主催者 辻元清美

(司会)『朝日ジャーナル』編集長 筑紫哲也

ここに注目!

「何でも陰謀」「何でも差別」史観にたつ本多氏の映画評を、謙虚な語り口の井川氏がひとつひとつ事実をあげて論破する。本多氏からは再反論の声なし。井川氏の実力が断然光って見えます。やはり当時の朝日新聞社では学識・識見・実経験とも、井川氏こそがインドシナ専門記者の第一人者だったようです。

読みどころ

赤字による強調は引用者による)

筑紫:井川さんはベトナム戦争の間、プノンペン支局長、サイゴン支局長としてインドシナ半島で過ごしている。本多さんはカンボジアの虐殺の問題を取材し、いろんなものを書いてきています。辻元さんは最近カンボジアに行ってきた。長谷川さんは、映画というものをどうとらえるかというのは今日の一つの大きな柱ですので、特にご参加をいただいた次第です。さて、本多さんは、「無知な人々だけが感動する『キリングフィールド』」という一文で、これは無知な人だけしか感激できない愚作であり、政治的な詐術映画である、詐欺の映画であるということを書いてます。」

本多:それは『潮』八月号に、やや扇動的に書いたんですが、要点は三つくらいあります。

第一に、普通の平均的日本人がカンボジアについてどう認識しているか、の問題と関係がある。例えば虐殺は誰がやったのか。そういうことが、この映画は実にぼんやりしている。誰が虐殺をやってるのか分からない。その証拠に、いろんな映画の批評を見ると、全くとんでもない批評をしてるんです。これは戦乱の中で起こった虐殺だとか。冗談じゃない。虐殺は戦乱が終わってから始まったわけです。平和が来て、民族主権ができてから虐殺が始まった。一九七五年から七九年までの四年間にポル・ポト政権下で起こったものだ。その地獄の平和なんです。それが一九七九年に終わったのは、戦乱によってです。極めて単純なことです。しかし「普通の人」はそのことがまるで分かっていない。欧米人はもっとひどいだろう。

そうするとどういうことになるかというと、ああいうふうに非常にぼんやりした状況で虐殺を描いた後で、最後に、「カンボジアの苦悩はまだ終わらない。タイ国境の難民たちはキリング・フィールドからの子供たちでいまなおあふれている」という字幕が二度も流される。まだ地獄の平和が続いていて、中で虐殺が行われていると、知らない人は、そういうふうにとるわけです。だから、地理的、政治的な無知な人々がこの映画を見たら、誰がやってるのか分からない。いわんや、いま、あのころのポル・ポトの軍隊がタイ国境から反撃しようとしていることは思いもよらないわけです。

げんに朝日新聞のアジア総局(シンガポール)にいた松井やより特派員が言うには、この映画はシンガポールでも上映されたが、あの虐殺はベトナム人がやってるんだと、見た人はそう言ってるそうです。これはそういうふうに映画がつくられているんだから、当たり前だと思うんです。この映画は、こういう効果を狙ってわざとぽかして、わけが分からなくした政治的な陰謀映画ではないかという、極論すれぱそういう疑問が起こるわけです。何しろCIAというのはわれわれの想像を絶するような陰謀をやりますから、そういうこともあり得ないことじゃない。現にシアヌーク時代のカンボジアはCIAによってさんざんひどい目に遭わされています。

第二に、これは友情物語だということを、デビッド・パットナム(製作者)も発言している。じゃ、友情とは何かといいますと、少なくとも対等な人間関係でなければならない。しかし、あのシャンバーグという特派員とプランという通訳兼助手は対等な関係と言えるか。これは主従関係です。ブランはいかに忠実に主人に尽くしたか、主人はいかにそれに応えたかという主従物語だと考えれば、別にそれを否定することはない。しかし、そこに問題がないわけじゃない。シャンバーグは本当の地獄の演出者が誰かとか、そんなことはあまり関心なく、一人だけ助けた。これはブラン以外へのカンボジア人に対するとんでもない差別じゃないか、差別映画じゃないか、というのが私の極論なんです。虐殺者とその犠牲者という本質を放置しておいて、「自分たちの側」の、かつ恩のあるプランという一人だけを助けるという免罪符的えせヒューマニズム。それが、この映画の本質ではないかと思うわけです。第三番目、カンボジアのポル・ポトの虐殺がなかったという正反対の主張をしたジャーナリストや学者が、特に日本にたくさんおります。それに比ぺれぱまだましかな、ということは言えるかもしれません。」

井川:あの映画は本当のことを伝えているかどうか。その点で言いますと、あの映画は非常によくできてるというのが私のとりあえずの結論なんです。私はあそこに二年ばかり住んでおりまして、ちょうど戦争中でした。それから戦争が終わりまして、あの映画に描かれているようなポル・ポト時代が来て、そして、ああいう地獄のような状態が終わる。そのあとに最初に入った人間の一人であるわけです。その体験を通じて知ったカンボジアの事実とこの映画を比ぺてみますと、現実に起こったことを、非常に不十分ながら伝えていると言うしかないわけです。嘘はないわけです。ただ、一つだけ欠点を挙げるとすれば、あの映画はポル・ポト時代の地獄の平和というものについて、恐らく半分も伝えてない。二、三割というところでしよう。

もう一つ、友情というやつですけれども、私自身が友情を持たざるを得ないカンボジア人をいっぱい持ってたんです。助手を持ってたし、運転手もいたし、メイドもいた。これは主従関係であったかどうか。主従であったと言ったら怒られそうだし、主従じゃないと言ったら嘘ついてると言われそうだし、誠に言いづらいことなんで……。

しかし、あの映画で描かれたシャンバーグとティト・ブランの関係は、少なくとも私が現地で見た日本人特派員と現地人助手との関係よりはるかにましです。あれは恐らく当時のサイゴンを含めてインドシナの外人特派員の平均ではなく、最上に属する友情関係だと思います。もっとひどいケースがいっぱいありまして、日本人特派員を含めて、めちゃくちゃな特派員が多かったわけです。仲間につぱをかけるようで誠に申し訳ないし、ことによると自分自身につぱをかけてるのかもしれないんですけれども。

カンボジアではシャンバーグ、あるいはニューヨーク・タイムズは、APもそうでしたけれども、助手を救うために努力をするけです。少なくとも個人的には努力する。ところが、日本人特派員で最後まで努力をしたというケースを私は知らないんです。助手を救い得る可能性が出てきたボル・ポト以後に、現地に行ってそれを捜そうと努力した人間もいません。

あの映画がいかに本当のことを言ってるかということについて、一つ言いますと、プランのモノローグで、ポル・ポト政権、つまり赤色クメールはベトナムと戦争を始めたらしい、それもどうもクメール王国の時代の領土を回復するために戦争を始めたらしい、と言うところが出てきます。普通、ベトナムのカンボジア侵略と言われるものは、実は侵略というよりは、ポル・ポト政権とベトナムとの戦争だった、それもどちらかといえぱポル・ポト政権のほうが仕掛けた戦争であったということを、あの中でブランはちゃんと言ってるわけです。あの映画はかなりのところまで歴史の真実に迫った、あるいは少なくとも迫ろうという意思はあったものじゃないかと私は思う。」

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最終更新日2000/04/06 (Y/M/D).