本多勝一研究会重要文献解題

熊坂隆光

毛沢東治世下での死者数8000万人と伝える記事

産經新聞1994年7月18日

文責:佐佐木嘉則

解説

ウォーターゲート事件を執拗に追及して1974年の夏にはついにニクソン大統領を辞任に追い込み、アメリカのリベラル派新聞として知られる『ワシントン・ポスト』紙が、今度は「毛沢東治世下での死者8000万人」と伝えるスクープ記事("Mass death in Mao's China")を1994年7月17日付けで発表し、翌日のサンケイが紹介。

ここに注目!

本多勝一記者が

「美しい理想を原則とし、かつ実行する政権」

(本多勝一『中国の旅』と靖国神社」、朝日文庫『殺される側の論理』291ページ)

とよんだ人民中国が、いかにすばらしい地上の楽園であったか、下記をごらんください。

読みどころ

赤字による強調は引用者による)

中国で毛沢東主席が実権を掌握していた一九五〇年から七六年の間に、急進、過激な経済政策の失敗により伝えられるよりはるかに多数の人民が死亡し、文化大革命の犠牲者などを合わせると死者数は八千万人にも及ぶことが明らかになった。十七日のワシントン・ポスト紙が報じたもので、毛主席にその責任があると論評している。」

「同紙によると、死者の多くは「人災」と断定できる飢きんによる犠牲者。原因のほとんどは大躍進政策を強引に推し進め、西側に追い付こうと農業生産より工業生産を重視した毛主席の誤りとしている。プリンストン大現代中国研究センターの陳一諮氏によると安徽省の飢きん(五九−六一年)では、四千三百万人が死亡したという。」

「中国社会科学院が八九年にまとめた五百八十一ページに及ぶ調査資料によると、この飢きんでわが子を殺して食べてしまった例や人肉が商品として取引された例などが記録されているという。このため中国政府自身がある程度実態を把握しつつあるのではないかとみられる。」

ここが知りたい


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最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).