論考集2

発表/伝聞の記事化について


当局発表や噂話などの未確認情報を裏付け取材なしにメディアが流すことについて本多さんが

(1)どういう主張をしているか、

(2)実際には著作の中でどのようにしているか、

についてまとめてみました。


(1)どういう主張をしているか

「公式発表というものは、体制の各末端の責任のがれのためのウソの集積だと疑ってみるべきだ。」

(朝日文庫『事実とは何か』「歴史の証言としてのルポタージュ」28ページ--初出は『みすず』112号:1968年9/10月合併号)

「最初はこれほど閉口していた警察の取材も、半年もたつうちに刑事や捜査一課長・二課長らとも顔なじみになり、いわゆる玄関ダネ、つまり警察から発表されるものについては何も閉口することはなくなってゆきます。けれどもそれと反比例して、こうした取材のありかたに対する疑問が大きくなってきました。再び社内報に出すための感想文「入社半年の記」を私たち新入社員が書かされたのは、このころです。…

「入社したとき、私たちが教えられた取材態度として最も重要なもののひとつは、対立する二者の、双方の言い分を聴け、ということであった。…新聞に出るサツダネは、ほとんどが警察側の一方的『発表』だけで放置され、対立する泥棒その他の容疑者のは『発表』の機会も場も与えられぬままに泣き寝入りすることになる。この明白に偏った事実を、私たちはこのまま続けていいのであろうか。」

(朝日新聞社『通信部報』1959年12月号より)

かけだし記者としての、このような初歩的疑問を書いてから十余年たちました。けれども、この疑問は解けるどころか、むしろいっそう深まり、もはや『疑問』ではなくて、これは今の大新聞の決定的かつ致命的な誤り---否、誤りならばただすこともできるが、存在の本質にかかわる種類の犯罪的行為だという『確信』に近いものを抱くようになっています。」

(朝日文庫『職業としてのジャーナリズム』「職業としての新聞記者」46〜47ページ--初出は『別冊経済評論』1971年春季号)

「サイゴンの米軍が公式発表するものを、そのまま『正確に』取材して記事にする。これはなるほど正確かもしれませんが、発表そのものの中に、たとえば政府軍のケンカを『ベトコンのテロ』とするようなウソがあるのですから、結局は権力の走狗とみられても仕方がありません。しかしこういうことはサイゴンに限らず、いかなる社会体制にしろ、権力のあるところ常に警戒すべきことでしょう。権力は常に腐敗したがる。それを見張るべき最も強力な勢力が、言論の自由を背景にしたジャーナリストでなければなりますまい。」

(朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』第9刷「危険な職業---ジャーナリスト」37ページ--初出は『あしなみ』1968年9月14日号)

と、本多さんはここでは実にまともなことを書いておられます。


(2)実際には著作の中でどのようにしているか

ところが、実際に本多さんの著作を拝見すると、その対立する双方の言い分を聴くこともなく一方の主張だけを流すことが多いことがわかります。(新米記者時代に書かされた地方の事件の雑報ならいざしらず、大記者となった本多さんに紙面の不足は理由になりません。ましてや記事をあとで本にまとめるとなれば、新聞には載らなかった情報も含めて収録できるはずです。海外での大型取材となれば何か月も準備・取材に投入しますから「時間がなかった」も口実とはならないでしょう。)

「このころのシハヌーク殿下は、クメール=ルージュ(赤いクメール)に対して強い弾圧政策をとっていた。ひどい噂としてきいた例では、どこかにトラの谷間が用意されていて、逮捕した共産党員を崖から突き落とし、トラに食わせているという話さえあった。事実かどうかはわからないが、そんな象徴的な噂が出るように、ともあれ弾圧していたことに変わりはない。」

(朝日文庫『検証カンボジア大虐殺』12ページ)

「カンボジアとの国境に近いアランヤプラテートの町に一泊する。ここで会ったあるジャーナリストによれば、タイに陸路で脱出してくる難民の娘たちは、それを『楽しみ』に待ちかまえているタイ軍の兵隊たちによって徹底的に暴行されているという。」

(朝日文庫『検証カンボジア大虐殺』368ページ)

「財界人の巨人ファンの集まり『無名会』の初代会長だったこのKは、ある大手銀行の顧問をしていて、その銀行の内部告発者によれば、銀行幹部のなかでも卑しい生態を示す人物として知られていたという。この内部告発の裏付け取材をしようと思っているうちに当人が他界したので、それきりになった。」

(朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』「阪神熱気は東京政権の横暴に対するウップン晴らしである」256ページ--初出は『潮』1985年12月号)

「ある職業的革命家によれば、あのとき文学賞は志賀直哉氏に出されるはずだったという。しかし志賀氏はすべてをお見通しで、甘くはない。出せば拒否することが、下調査で明白になったため、仕方なく『アメリカ帝国主義』により忠実で、効果的で、喜んで尻尾を振りそうな川端氏に出されたのだと。真偽のほどは知らないが、フィクションとしても本質をついたエピソードだと思う。」

(朝日文庫『殺される側の論理』「ノーベル賞という名の侵略賞・人種差別賞」276ページ--初出は『潮』1973年12月号)

「追記:この文章を『潮』の編集部に送った直後、またしてもノーベル物理学賞が、日本人の江崎玲於奈氏に出された。物理学賞であろうとも、愚劣さに変わりはない。次の記事はまことに象徴的である---。

「エサキダイオードの江崎博士の業績にケチをつける気は毛頭ない(だいたい、物理学なんて全然わからない)が、ウワサによると、IBMは江崎博士をスカウトするにあたって『ノーベル賞を必ずとらせてみせる』と言ったそうだし、米国のある物理学者は、すでに昨年、江崎博士の受賞を予測していたという。米国、あるいはIBMという世界的大企業の見えない力が、ノーベル賞の選考にある圧力となって働いていないとは言えない。平和賞にキッシンジャー米国務長官というのも、その一例だ。」(新村正史『潮』1974年1月号「デスクMEMO」)」

(朝日文庫『殺される側の論理』「ノーベル賞という名の侵略賞・人種差別賞」278ページ)

…と、次から次へ噂を垂れ流す「犯罪的行為」のオンパレード。

ひょっとしたら、“これらは「民衆」の側から「権力」側に関する観測を述べたものだから、裏付けなしに流してもいいのだ”というのかもしれません(もっとも川端氏や江崎氏は有名人ではあっても権力の中枢にいたわけではありませんが)。しかし実際には、ベトナム共産党政府の仏教弾圧に抗議して焼身自殺を遂げた僧尼を中傷する当局の悪宣伝を、裏付けもなく延々と垂れ流すというようなこともやっていますから、この言い訳は通用しません。

「西側で宣伝された事件のひとつに、去年カントー(メコン=デルタ最大都市)で起きた『12人の焼身自殺』がある。これは新政権への抗議だといわれているが、サイゴン当局の調査によれば、単なる色キチガイ坊主が、関係した尼さんたちを道づれに寺に放火し無理心中しただけのことだ。」

(朝日文庫『事実とは何か』「新生ベトナムと取材の自由」231ページ--初出は『朝日ジャーナル』1977年5月6日号)

これに続き、本多さんは

「しかし、西側での宣伝に対して私が確信をもって反論するためには、私自身が自由に現場へゆき、その周辺の人々から自由に話をきく必要がある。そうでなければ『当局によれば』として『発表モノ』をそのまま報道するにとどまる。それはそれで意味があるものの、私自身の直接的ルポとするわけにはゆかない。」

(朝日文庫『事実とは何か』「新生ベトナムと取材の自由」231ページ)

とも述べています。はて、当局発表だけを、対立する側からの取材なしにたれながすのは「犯罪的行為」だといっていたはずだが…、と首をかしげながら読み進むと、次の段落にこう書いてありました。

「いうまでもなく、たとえば日本の事件記者が警察発表による一方的な記事を書く、といった問題はある。トンキン湾事件は、ワシントン(ペンタゴン)のでっち上げをアメリカ人記者をはじめ西側ジャーナリストがそのまま一方的に書きまくった結果だ。にもかかわらず、それとこれとでは意味が異なる。」

(朝日文庫『事実とは何か』「新生ベトナムと取材の自由」231ページ)

さてさて、どう「意味が異なる」のかが気になりますがその説明はみあたりません。察するところ、資本主義のアメリカや日本政府の宣伝を垂れ流すのは反動的だからケシカラン、社会主義のベトナム政府の発表を読者に伝えることは進歩的だから大いにやりなさい、ということかと思われます。これでは本多さんはジャーナリストではなく、広告代理業(これも立派な職業です)ですね。それならそうと早くいえばいいのに。(それとも、“社会主義ベトナム政府がウソの発表をするはずがない”とはじめから信じてかかっているのか?「公式発表というものは…ウソの集積だと疑ってみるべき」ではなかったですっけ?)

さらに朝日新聞社刊『ベトナムはどうなっているのか』では、紙幅を大きく割いてこの当局発表を掲載するというサービス精神まで発揮しています。(もっとも、『ベトナムはどうなっているのか』では一応伝聞という形式は守っています。かつて文革時代に中国当局発表をそのまま自分の文章にするトンデモ記事を書いた反省からか?)

さらにすごいのがクメール=ルージュのプノンペン制圧後間もなく書かれた次の記事で、ここでは“クメール=ルージュ当局の発表を鵜呑みにしなかったのがけしからん”と本多さんが凄い剣幕で噛みついています。

「もちろん、合州国のキッシンジャー氏ら、ノーベル「平和」賞を受けた詐欺師たちは、プノンペンで解放軍による大虐殺が行なわれたというデマを言いふらした。それを受けて、シャンバーグ記者【引用者注記:「プノンペンの2週間--陥落から脱出まで」『朝日新聞』1975年5月12日】は書く。

「おそらく将官クラスらしい解放側の指導者の一人が、捕虜を前に話をした。彼は、裏切り者は七人の元指導者だけで、旧政権の他の指導者、高官については公正に扱うと保証した。そして『報復はしない』とも述べたが、捕虜たちの緊張した表情は、彼の言葉を信じたい気持ちはあっても、実際は信じられないことを物語っていた」

つまりこの記者は、現実に虐殺など見たこともないし、解放軍の「報復はしない」という言葉を直接きいているにもかかわらず、どうしても虐殺があったことにしたいのだ。実はこれは「合州国ならばそれが当然のハズだ」と告白しているようなものである。」

(『潮』1975年7月号掲載「欧米人記者のアジアを見る眼」

実際にはこれら捕虜の危惧の方がただしく、クメール=ルージュが旬日を経ずしてロン=ノル政府の官吏や将兵の多くを処刑したことは、ご存じのとおりです。

しかし、何でも聞いた話は全部書く、発表は論評抜きで全てそのまま伝えるという方針で徹底するなら、是非は別として少なくとも一貫性はあると思うのです。

「この報告は、話者それぞれの語った内容を整理することなく、ほとんど機械的に素材として提供したい。この中のどの部分が正確で、どの部分が誇張あるいは事実無根かといったことは、いずれ次第に明らかにされるときがくるであろう。」

(朝日文庫『検証カンボジア大虐殺』「カンボジア脱出難民たちの証言」89ページ)

ところが実際には、本多さんは自分に都合の悪い話は必要に迫られるまで流さない。その最たるものが、多年にわたりカンボジアのクメール=ルージュの悪政やベトナムとの国境紛争の兆候をつかみながら、ベトナム政府がそれを表沙汰にするまで記事にしなかったことです。

「1975年4月…ベトナム戦争(ひろくは第二次インドシナ戦争)は最終的に決着がついた。その一ヵ月後、私は5回目のベトナム取材のためハノイ経由でサイゴンにはいった。…サイゴンのあるベトナム人の友人宅を石川文洋氏(報道写真家)とともに訪ねた際のことだ。…数日して同じ家を訪ねると、この勇士が突然非常召集されてタイニン省のカンボジア国境へ向かった。『カンボジア軍と戦争状態だ』という一言だけがヒントだった。カンボジア軍といっても、まさかロン=ノル軍がまだいるわけでもなし、カンボジア人民軍、つまりはクメール=ルージュしか考えられないではないか。友人宅の人たちもそうだという。『何のことかよくわかりませんが、とにかく解放軍同士の戦闘です』というのだ。」

(朝日文庫『検証カンボジア大虐殺』「異常事態の最初の情報」14ページ)

「今春【1977年】またサイゴンを訪ねた時、カンボジアから逃げてきた華僑やベトナム人の話として、『逃亡が見つかってつかまると、ガソリンをかけて焼き殺される』といううわさをきいた。ベトナムの要人たちの言葉の端々にも、カンボジアとはあまりうまくいっていない様子がにじみ出ていた。」

(すずさわ書店『貧困る精神7集』「カンボジア国境紛争」146ページ--初出は朝日新聞1977年9月19日)

そんな重要な情報を仕入れていたのならさっさと発表すればいいと思うのですが、実際には2年以上たって(国境紛争が表面化してから)ようやく記事にしたという超スローぶりです。

統一ベトナム政府がはじめたサイゴン市民の移住計画についても

「サイゴンでは、新経済区に関するいろんなマイナスのうわさや体験談もきいた。しかしそれらが単なる例外かデマだとして否定するためには、自由な取材をどうしても必要とする。」

(朝日文庫『事実とは何か』「新生ベトナムと取材の自由」230〜231ページ)

その「マイナスのうわさや体験談」が具体的にはどういうものか、本多さんが詳しく書いておられるのを拝見したことがありません。最初から「単なる例外かデマだとして否定」したい気持ちを持たれるのは自由ですが、“自分が応援する側に都合の悪い情報だから書かない”というのでは読者の知る権利を侵害していることにはなりますまいか。

さらにひどいのが、取材すらせず、想像で「〜だろう」と決めつけて「ケシカラン」と罵倒している記事です(つまり、記者が自分で風聞を作り出し流している)。

「拝啓

在日外国大使館のいくつかから私のところにも招待状が来ることがあります。その国の何らかの記念日とか、その国の重要人物が来日したときなどです。その招待状には、大別すると次の3種類があります。

…③(第三国語)は、考え得る最低の方法です。…もちろん在外日本大使館もこの最低の方法でやっている可能性が高いでしょう。フランスや合州国のような“大国”の日本大使館では、ゴマをすってフランス語やイギリス語だけで招待状を印刷し、アフリカ諸国やアジア諸国では、この最低の方法でやっているに違いありません。なにしろこれまで私の会った日本人の大使の中には、植民地根性の人は珍しくなかったけれど、駐在国への思いやりや自国の真の矜持を持つ男などは極めて稀でしたから。…最低の方法(③の場合)でやっている在日大使たちよ。自らの植民地根性を反省してみませんか。また二番目に悪い方法(②の場合)の大使たちも、自らの傲慢度を測定してみるのも無益ではないでしょう。」

(朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』「在日外国大使館の各大使と秘書殿」167〜171ページ--初出は『潮』1981年11月号)

「拝啓」ではじまるこの文章は書簡の体裁になっていますが、本当に各国の大使館に送り付けたのでしょうか?『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』にはそういう記載はみあたりません。(中国大使館からの招待状は中国語だけで印刷した「傲慢」なものだそうだから、この文章を中国政府の外交部(外務省)と駐日大使に送って回答を求めたらよかったのに。次に中国取材を申し込む時に入国拒否されるのがこわくてできないか?)

次も同工異曲です。

「たとえば、在日スウェーデン大使館に電話する。交換手の娘さん(日本人)が、電話口に出るやいなや『Swedish Embassy』とくる。つまり、日本にあるスウェーデンの大使館が、日本人の私に対して、勝手に、いきなり、一方的に、イギリス語で話しかけてくるのだ。…ところで、外国にある日本大使館はどうか。私の知るかぎりでは、合州国、イギリスフランスなど、要するに『大国』では、その国の言葉を使う。サウジアラビアやクウェートではアラビア語で応じているか?タイではタイ語、サイゴンではベトナム語、タンザニアではスワヒリ語で応じているか?少なくとも交換手だけは、応じているか?すべてを確認したわけではないが、恐らく否であろう。かといって日本語でもないだろう。即ち、日本のスウェーデン大使館がイギリス語でSwedish Embassyと応ずるような、最低の方法でやっているであろう。猛省することだ。

(朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』「在日外国公使館と日本人との関係」164〜166ページ--初出は『家庭画報』1973年6月号)

などと、取材もせずに想像で「勝手に、いきなり、一方的に」決めつけた推測を書くことこそ報道人として「最低の方法」であり、本多さんには「猛省」していただきたいと思うのですが、いかがなものでしょうか。


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最終更新日 1999/11/01 (Y/M/D).